両親が毎夜キャバレーで演奏していたことから、歌謡曲、ジャズ、ラテン、映画音楽などの雑多な音楽に触れ、小学生の頃、宮川泰作曲「交響組曲・宇宙戦艦ヤマト」を聴き、クラシックから歌謡曲まで網羅できる作曲家を夢見る。
中学時代、所属していた吹奏楽部がオーストリアのウィーン青少年音楽祭に出場。 現代音楽作曲家である顧問の先生の影響も受け、本格的に音楽の道を選ぶ。
東京芸術大学作曲科に入学と同時に、数々のジャズ・セッションや、当初バイトの つもりで始めたキーボード奏者としての演奏に明け暮れる。
1990年KENSOに加入。